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HOME全日赤紹介目次年表目次>1985年〜1994年
全日赤紹介
全日赤年

全日赤関係 ◎日本医労連・全労連等 日赤関係 ◇その他

1985年・昭和60年
 
 2月17日 全日赤結成40周年記念集会。浅草ビューホテル。
 4月 全日赤、ストや全国動員で本社を追及、日赤労組が中労委に斡旋申請したために本社が態度を変え、中労委に斡旋申請。斡旋案は2.6%。
 7月13日〜15日 全日赤第40回定期全国大会。東京。
◇ 10月 国鉄分割・民営化を閣議決定。
◇ 11月 国立医療を守る運動、全国に広がる。

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1986年・昭和61年
 
◇ 1月 厚生省、国立医療機関再編成「全体計画」を発表。統廃合で40施設、移譲で34施設の計74施設を10年を目途に切り捨て。
 4月1日 日本赤十字社、社費を最低300円から500円に引き上げ。
 4月〜5月 全日赤、本社の人勧準拠方針に基づく人勧後回答決定の態度を改めるべく、中労委に調停申請。調停案は「公共企業体の調停経緯を参考にして協議する」。結果賃上げは4.76%、11,181円で春闘相場を確保した。
 7月27日〜29日 全日赤第41回定期全国大会。京都。
 9月22日〜26日 全日赤、青年有志でミクロネシア平和と友好の旅。20名参加。

11回リブ 1985年
11回リブ 1985年

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1987年・昭和62年
 
◇ 2月 国民医療研究所、須磨問題で明石・神戸に調査団派遣。
◇ 3月8日 売上税マル優廃止反対国民大集会。16万人参加。
 5月8日 全日赤、中労委斡旋で定昇込み3.65%、8,761円、「日赤賃金の自主解決」も明示。
 7月5日〜7日 全日赤第42回定期全国大会。秋田。
◎ 7月23日〜25日 日本医労協定期大会。連合体に移行。
◇ 9月18日 労働基準法改定。(1)法定労働時間を週48時間から40時間に短縮、(2)変形労働時間制拡大やフレックス・タイム制導入など労働時間制度の弾力化が中心。1987年12月11日の政令で当分の間46時間、1990年12月14日の政令で週44時間、1993年6月の法改定で週40時間になった。

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1988年・昭和63年
 
 4月 全日赤、自主交渉・自主回答実現。基準内平均1.99%、4,906円、定昇込み4.5%、春闘・医療相場を確保。
 7月10日〜12日 全日赤第43回定期全国大会。成田。
 10月3日 全日赤大阪単組、大阪地裁で85春闘団交拒否事件・不当労働行為勝利判決。
 10月 全日赤、本社の4月協定無視、寒冷地手当削減の強要に対し、10月に3波のスト。寒冷地手当は継続交渉となっているが実際削減。
◎ 10月 日本医労連、「医療労働者の合理化・健康実態調査」開始。翌年発表されたが、8万3千人分集まり、朝日新聞は「看護婦さんは疲れている」との見出しで記事掲載。
◇ 12月18日 統一労組懇決起集会。全国から1万人以上が参加。
 12月 全日赤、ニカラグア訪問団派遣。坂巻委員長、西沢副委員長、大中伸一(中四国地方協)、河原田和夫(長野医師)、野村宏治(富山薬剤師)、義村美智恵(大森看護婦)、大久保洋子(AALA)。

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1989年・平成1年
 
 2月14日 全日赤大阪単組、東京地裁で82年夏期一時金問題・不当労働行為事件勝利判決。
 3月14日 全日赤、大津単組、日刊紙「ひとみ」5,500号記念集会。
 4月 全日赤、4月に4波のスト、40を超えるスト単組、署名や常任理事への要請ハガキ、歴史的な闘争で回答引き出し。定昇込みで5.26%、13,441円で周到相場を上回る結果。
◎ 7月 日本医労連定期大会で「看護婦闘争」宣言。ナースウェーブ始まる。
 8月18日 全日赤大阪単組、大阪高裁で85春闘団交拒否事件・不当労働行為事件勝利判決。
 9月10日〜12日 全日赤第44回定期全国大会。蒲郡。
 9月〜10月 全日赤、ニカラグア赤十字社社長と財政部長を招待。
◇ 10月20日 日本労働弁護団結成。
 10月24日 全日赤、大阪単組、支援共闘会議結成。
◇ 11月9日 東独、市民の出入国自由化、ベルリンの壁崩壊。
◎ 11月19日 日本医労連、「国民医療を守る共同行動」中央総決起集会。9月からの全国キャラバンの」終結集会で署名も750万名分集約。
◇ 11月21日 闘うナショナルセンターを標榜する全労連(全国労働組合総連合)が結成発足した。創立に参加したのは日本医労連をはじめ、27単産、41地方組織、140万人。
 全日赤、大阪単組、支援共闘会議が地域集会。

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1990年・平成2年
 
◎ 1月1日 日本医労連共済発足。
 4月5日 全日赤、本社回答は昨年実績。全日赤推定で3.29%、定昇込み5.75%、15,363円。産別春闘に激励を与える。
◎ 5月24日 日本医労連「白衣の3千人集会」。
 7月11日 全日赤大阪単組、東京高裁で82夏期一時金問題・不当労働行為事件勝利判決。
 7月8日〜10日 全日赤第45回定期全国大会。上山田。組織拡大5カ年計画決定。
◎ 10月 日本医労連「看護婦国際シンポジウム」開催。
◎ 11月9日 日本医労連の全国統一スト。この日、日本医労連は看護婦増員や夜勤回数減などを要求し、21年ぶりの全国ストを実施し、686組合、10万人が参加した。

1990年 ナースウェーブ
1990年 ナースウェーブ

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1991年・平成3年
 
◇ 3月 厚生省健康政策局、「看護職員需給見通しの見直しについて」を全都道府県に通達。
◎ 5月30日 日本医労連「白衣の3千人集会」。
 7月7日〜9日 全日赤第46回定期全国大会。観山寺。
 12月7日 全日赤大阪単組、82夏期一時金問題及び85春闘団交拒否事件・不当労働行為事件いずれも最高裁で勝利判決。不当労働行為事件を追及して、地労委、中労委、地裁、高裁で闘ってきたもの。

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1992年・平成4年
 
 2月16日〜17日 全日赤、臨時大会。オーストラリア看護連合委員長のパトリシア・ストートンさんとビクトリア州支部委員長のリサ・フィッツパトリックさんを招待。
 3月16日 全日赤大分単組、中荘篤美さん勤務中死亡。労災認定闘争を展開。
 3月16日 全日赤和歌山単組、昇格差別で不当労働行為提訴。
◎ 6月19日 看護婦人材確保法。厚生・労働・自治3省の共管法案としてこの日成立した。
 8月 全日赤、オーストラリア看護連合ニューサウスウェールズ州支部とビクトリア州支部の招待で代表派遣。塩冶委員長、笠原中執、羽根田中執。ニューサウスウェールズ州支部大会では演壇正面に全日赤の寄贈旗が飾られ、全日赤委員長が挨拶。
 9月27日〜29日 全日赤第47回定期全国大会。琵琶湖。
◎ 10月 日本医労連「看護婦110番」開始。御礼奉公が社会問題になる。

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1993年・平成5年
 
 1月 釧路沖地震。全日赤は救援カンパを募り、70万円が集まった。
◎ 4月14日〜15日 民間全国5組合の共同行動として各経営者に春闘回答促進を申し入れた。7月11日〜13日 全日赤第48回定期全国大会。蒲郡。
11日の夜は「全日赤8,500名突破記念集会」を開催。オーストラリア看護連合副委員長のリサ・フィッツパトリックさんも参加。
 8月27日 全日赤和歌山単組、看護婦夏祭りで地域住民や支援労組など2千人を集める。
◎ 9月9日〜11日 民間全国5組合の第1回ワーカーズ・カレッジ開催。
◎ 10月6日 「看護婦ふやせ、医療守れ10・6中央集会」、1,700人参加。
◎ 11月9日 医療危機突破11・9中央総決起集会、2,000人参加。

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1994年・平成6年
 
◇ 1月 小選挙区制等政治「改革」法案、参院で否決後、細川政権と自民の密室談合で、強行成立さる。
 3月22日 全日赤武蔵野単組、月8日夜勤協定都労委で協定。
 5月 全日赤、組織拡大144名。5月としては過去最高。6月23日 健康保険法改悪。
一般の入院患者に1日600円の食事代の一部負担を求めることを柱とする法律。他に、寝たきりや重症患者が自己負担で雇っていた付添婦を廃止し、すべて病院の職員による看護、介護に切り替える制度改正も盛り込まれた。1994年10月施行。
 7月14日〜16日 全日赤第49回定期全国大会。修善寺。 
◎ 10月 ナースウェーブAKI。中央に1,500人結集、全国120カ所で終日行動展開。

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