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全日赤年表

全日赤関係 ◎日本医労連・全労連等 日赤関係 ◇その他

1975年・昭和50年

 1月13日 全日赤、益田単組、宮崎事件第1審勝利判決。経側控訴。
◎ 1月 全医労、74春闘に対する不当処分、抗議闘争広がる。
 3月3日 全日赤伊達単組は、祝祭日の出勤者に対して休日出勤手当を支払うこととする地労委調停案をかちとった。
 3月〜5月 全日赤、産別統一ストを中心としたストと全国動員を力にして、5月9日確認書を獲得。「公企体、公務員等の賃金改善を参考に、医療労働者の特殊性も加味し決定する」、賃上げ4月実施、暫定払い8,000円。この年の賃上げ10.8%。
◇ 4月 統一地方選において、東京都、大阪府は革新の陣地確保、神奈川県に新たに革新知事誕生。
◇ 4月 サイゴン政府、無条件降伏、ベトナム解放、プノンペン陥落、カンボジア改装。
 9月12日〜15日 全日赤第30回定期全国大会。京都。
◇ 12月12日 ILO第102号条約批准。
この条約は、1952年の第35回ILO総会で採択された、(1)医療、(2)傷病給付、(3)失業給付、(4)老齢給付、(5)業務災害給付、(6)家族給付、(7)母性給付、(8)廃疾給付、H遺族給付の9部門の社会保障給付の基準を規定した<社会保障の最低基準に関する条約>。政府は、(2)傷病給付、(3)失業給付、(4)老齢給付、(5)業務災害給付の4部門の批准案を国会に提出し、この日に可決成立、26番目の批准国となった。
◇ 12月 厚生省「夜勤10日規制通達」(管第72号)出す。

1975年6月 大分単組
1975年6月 大分単組

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1976年・昭和51年
 
◎ 1月26日 全労災、つわり休暇、職場保育所補助を協定。
 3月8日 全日赤結成30周年記念集会。目黒・雅叙園。
 3月〜5月 全日赤、ストを背景に本社回答を次々と書き換えさせ、4月実施などを固めた。暫定払いを賃上げ後精算のないものと認めさせ、第1次賃上げとさせた。この年の賃上げ7.0%。
◎ 6月2日〜23日 柘植つい子さん「看護職員の雇用及び労働・生活条件」のILO第61回総会に参加。
◇ 7月27日 田中前首相逮捕。ロッキード疑獄に関して、受託収賄罪と外為法違反で起訴。
◇ 7月 厚生省、日本医労協との約束に基づき、全医療機関の夜勤制限通達出す。
 9月6日〜9日 全日赤第31回定期全国大会。別府。
◎ 9月 日本医労協、フランス・イタリアに医療調査団派遣(宇田川副議長ほか4人)、フランスCGT公共業務保健労組と共同コミュニケ発表。:医労協

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1977年・昭和52年
 
◇ 2月 国民春闘共闘、約1万人集めて「国民のいのちと暮らしを守る中央総決起集会」開催、集会後都心をデモ行進。
 4月〜5月 全日赤、5月4日に第1次賃上げを獲得、「賃金労使自主決定」の道を開いた。第1次賃上げ6%で賃金表を作成。本社は「暫定賃上げ」と宣伝したが、各単組が経側に「第1次賃上げ」と「暫定賃上げ」の違いを明らかにし、本社と経側の矛盾を拡大した。12月の第2次賃上げでは、第1次賃上げの主旨を損なわないよう主張、4月に遡り実施させた。第2自賃上げで7%。
◎ 6月 ILO第63回総会、「看護職員の雇用及び労働、生活条件」に関する条約・勧告採択。柘植つい子さん、総評医療共闘代表団(6人)の一員として派遣。
 9月12日〜14日 全日赤第32回定期全国大会。宇奈月。
 12月23日 日本赤十字社、第二次赤十字病院経営改善五カ年計画(昭和53年度〜昭和57年度)策定を指示。

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1978年・昭和53年 

 1月18日 全日赤益田単組、宮崎元全日赤委員長解雇事件、広島高裁松江支部で勝利判決。
 4月〜12月 全日赤、本社から「賃上げすることと4月実施」の合意メモをかちとり、その後全日赤は2号俸引き上げ、本社は「人勧準拠」回答で対立。12月になって本社が給与委員会を強引に開催し、要綱を改定、2本立賃金を強行しようとした。全日赤は中労委に調停申請、調停は不調になったが「人勧準拠」方針を批判する会長見解が出された。翌年1月に暫定支払確認書を交わした。この年の賃上げ3.7%。
 5月 青山貞一氏、医労協副議長として、国連第1回軍縮総会に参加。
 9月11日〜13日 全日赤第33回定期全国大会。洞爺。

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1979年・昭和54年
 
◎ 1月19日 益田単組、宮崎守文氏(元全日赤委員長)不当解雇、最高裁で全面勝利。
◎ 2月 日本医療労働会館完成、全日赤は3月26日業務開始。
 4月〜6月 全日赤、4月に本社から第1次回答「本俸引き上げ2.3%、最低保障76,700円」を引き出したが、その後引き延ばしに出たので中労委に調停申請。調停継続のまま自主交渉を行うことになり、6月に入って基準内平均3.8%引き上げを回答した。春期に賃上げ枠を始めて回答させた。
 9月10日〜12日 全日赤第34回定期全国大会。東京。
 11月21日 京都第一単組は、海外医療班派遣に関する覚書を院長との間に交わした。

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1980年・昭和55年
 
 4月〜6月 全日赤、4月段階で本社から「賃上げは行う」、「基準内で平均3.8%、最低賃上げ2,000円」、「第1次回答を上回るものとする」、5月に入って「基準内賃上げ4%」と回答引き出し。6月になって「定昇別4.2%、最低保障引き上げ2,700円」の回答で妥結。この年の賃上げ4.53%。
 8月25日〜27日 全日赤第35回定期全国大会。宮島。
 9月7日〜21日 全日赤、ベトナム・カンボジア友好連帯訪問団派遣。溝淵勉(全日赤委員長)、高野博男(元全日赤委員長)、伊藤茂歳(元全日赤書記長)。
◇ 11月16日 統一労組懇80,000人の11・16中央大集会開催。

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1981年・昭和56年
 
 4月〜5月 全日赤、民間全国組合の共闘を重視し、産別統一行動に全面的に参加して闘った。回答を逐次書き変えさせ、「原則として4月実施」の原則をはずさせ、人勧後も回答を変えさせず決定させた。この年の賃上げ5.29%。
◎ 5月26日 唐津裁判勝利で5・26福岡決起集会。
 7月12日〜14日 全日赤第36回定期全国大会。山ノ内。
◎ 7月 第2時臨調、第1次答申、医療費適正化などを強調。医労協、反対声明。

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1982年・昭和57年
 
◎ 3月27日 全国医療メーデー成功裏に展開。
 4月〜5月 全日赤、本社は4月22日、公企体を参考にすると回答。
5月に入って公労委の数字前後で回答をつくれと全日赤が提案、交渉は決裂したがこれを伏線に中労委で調停案引き出し。調停案は公企体仲裁裁定(定昇別4.6%)を基準に労使協議。結果は定昇込み7.31%、14,643円。この年は公務員の賃上げが無かったため、12月に再度中労委に調停申請、俸給は4月実施、手当は12月実施。
 5月22日〜23日 全日赤、第1回福祉施設労組代表者会議。松本。
◎ 5月 全日赤、国共病組、賃金要求で中労委に調停申請。
 6月9日 全日赤、唐津単組、唐津裁判共闘会議結成。
 7月11日〜13日 全日赤第37回定期全国大会。琴平。
 10月15日 日本赤十字社、赤十字病院経営基盤強化三カ年計画(昭和58年度〜昭和60年度)策定を指示。
 12月 全日赤、人勧が凍結されたが、春期協定に基づき賃上げ実施。
◎ この年 全日赤・国共病組、第1回看護問題合同学習会。

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1983年・昭和58年
 
 1月21日 全日赤唐津単組、唐津闘争全面勝利。事件は1969年に始まり、77年の第1審は敗訴した。その後全国的な支援、福岡県医労協の全面的支援で運動を広げた。倉光さん、中島さんの解雇撤回、和解金5千万円。
 1月25日 全日赤武蔵野単組、差別撤廃闘争全面勝利。片岡さん、柳沢さんを婦長に、岡本さんと大川さんを係長に。
 4月〜5月 全日赤、本社の「公務員賃金の帰趨を見極めて回答」との態度を改めるべく、中労委に調停申請した。調停案は、1.8%、3,842円、定昇込みで4.47%、9,541円。
 8月21日〜23日 全日赤第38回定期全国大会。盛岡。
 9月6日〜17日 全日赤、赤十字問題訪欧代表団派遣。坂巻晃(全日赤副委員長)、菅原敏和、三浦格、夏堀茂(以上3名全日赤政策委員会委員)。杉本一夫(血液センター部会)も参加。
 12月 全日赤、5月と11月に中労委を活用、4.46%、9,520円。

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1984年・昭和59年
 
 4月〜5月 全日赤、5組合で民間全国組合共闘をつくり、春闘に臨んだ。4月19日「賃上げはする」、19日「1.2%を確保する」と回答したが、具体的数字が無くては賃金確定にならないので、中労委に斡旋申請。確定した賃上げ枠は、1.9%、4,128円。
 7月8日〜10日 全日赤第39回定期全国大会。諏訪。
 7月30日 全日赤、滋賀血液センター単組は組合脱退強要など不当労働行為に対する地労委闘争で「今後組合に支配介入しない」勝利和解。
◇ 8月7日 健保法改悪。急速な高齢化社会の到来に対応するとして、第2臨調が指摘していた医療費抑制策として行われた。主な内容は、(1)本人負担1割導入、(2)高額療養費制度改正、(3)特定療養費制度創設、(4)退職者医療制度創設、(5)任意継続期間延長。
◇ 8月 厚生省、長寿園廃止・西群馬病院との統合打ち出す。
 11月 全日赤、5月に賃上げ枠1.9%を協定。11月に中労委斡旋で定昇込み4.44%、9,763円。4月実施を固めたが夏期一時金を除外することになった。
◎ この年 民間全国共闘委員会を組織。初任給基準、共同統一交渉を要求し、交渉権を共闘委員会に委任し、追及。

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