●全日赤関係 ◎日本医労連・全労連等 ◆日赤関係 ◇その他
1995年・平成7年
● 1月17日 阪神淡路大震災。全日赤はカンパ活動を起こすと共に、兵庫血液センター単組と須磨単組への激励と物資輸送を行った。
● 8月20日〜22日 全日赤第50回定期全国大会。水上。
◇ 9月 沖縄で米兵による少女暴行事件。以来、県民国民の怒りと行動が広がる。
● 10月21日 沖縄県民集会に土井近畿地方協議長を派遣。集会に先立ち県知事と那覇市長を激励。以後沖縄と中央での平和諸行動に参加。
◇ この年 オウム真理教の地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺人事件など一連の暴挙に国民の怒りが集中。
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1996年・平成8年
◇ 1月11日 村山首相の辞任に伴い、3党(自民・社会・さきがけ)連立による橋本内閣が発足。
◎ 3月「96年春・ナースウェーブ中央集会」5,500名。全日赤も38単組220名参加。
◇ 薬害エイズ事件、国と和解。
◇ 「夜間勤務等看護加算」改悪。勤務態勢の弾力化、補助者の拡大。
◇ 住専処理、厚生省汚職など、国民の政治不信高まる。
◇ 6月1日 新食糧法施行。米の販売自由化。
● 8月 和歌山血液センター労組結成、田辺単組と統合。
● 8月28日 全日赤結成50周年パーティー開催。オーストラリア看護連合(ANFヴィクトリア支部)からも来日参加。
◇ 10月20日 第41回総選挙。自民党過半数割れ。共産党躍進。
● 11月和歌山地労委闘争支援、病院近くで宣伝とデモ。「須磨日赤を存続させる会」発足。
◇ 12月20日厚生省・准看護婦問題調査検討会、「21世紀の早い段階に看護婦養成制度の統合に努める」と報告。
◆ 日赤も「日本赤十字社看護婦養成規則第11条」改正。「学業を終えた日から7年の間において、正当の理由なく救護員としての登録を拒んだとき」「本社が負担した学費その他の費用を返還させることがある」を削除。
◇ 12月17日 ペルーの日本大使公邸に、トゥパク・アマル革命運動のゲリラが侵入。約450人を人質に占拠。
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1997年・平成9年
● 1月 松江乳児院で組合結成、全日赤加入。
◇ 3月 茨城県東海村、動燃再処理工場で火災・爆発。作業員37人が被爆。
◇ 連合大手組合ベアゼロ妥結続出、鉄鋼労連隔年春闘確認、私鉄総連30年の集団交渉解消。
◇ 4月1日 消費税5%に引き上げ。
◇ 4月 日米安保共同宣言、旧ガイドライン(日米防衛協力のための指針)見直しへ
● 6月 須磨赤十字病院統廃合反対宣伝行動、病院周辺地域などに1万枚ビラ配布。地元自治会と懇談。
● 血液事業研究議員連盟、杉本副委員長(滋賀血)・田中対策委員(京都血)へのヒアリング行う。
◇ 6月28日 神戸市須磨区の小6殺害事件、近くに住む14歳少年を逮捕。
◇ 7月1日 香港が中国に返還。
◇ 7月 日米両政府、新「ガイドライン」合意。「周辺事態」で米軍に支援約束。
◆ 日赤、廃止対象の国立長野病院を長野赤十字病院の分院とすることに合意。
◇ 10月1日 長野新幹線開業。
◎ 日本医労連「医療労働者の労働・健康実態調査」実施。3人に2人が「慢性疲労」訴え。
● 大分病院看護婦の過労死認定審査請求、大分労働基準監督署棄却。労働省保険審査課に再審査請求。
● 11月和歌山単組・組合員昇格差別問題、5年7カ月を経て病院と和解。
◇ 山一証券が再建を断念、自主廃業へ。
◇ 介護保険法成立。
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1998年・平成10年
◇ 2月2日 郵便番号7ケタ化スタート。
◇ 2月7日 第18回冬季オリンピック長野大会が開幕。
● 2月 中央委員会参加者、兵庫県庁前「須磨赤十字病院廃止反対」宣伝行動。
◇ 財政構造改革法成立させる一方、銀行・証券会社への不良債権処理に30兆円支援。
◇ インドネシア、スハルト大統領が辞任を表明。独裁32年に幕。
◇ 6月10日 ワールドカップ98フランス大会、日本初出場。
◇ 7月 第18回参議院選挙、自民党惨敗。橋本首相退陣、小渕恵三内閣発足。
◇ 8月31日 北朝鮮テポドンミサイル、日本上空を通過し、三陸沖に着弾。
◇ 10月 健康保険2割から3割負担実施、患者負担2〜4倍に。
◇ 10月1日 診療報酬改定。2:1看護の平均在院日数30日から25日に。
◇ 新ガイドライン関連法国会上程。
◇ インド、パキスタン核実験。
● 11月 成田・京二・高槻単組「夜勤協定」求めて地労委へ。
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1998年 ナースウェーブ |
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1999年・平成11年
◇ 自民・自由・公明3党で国旗国歌法、盗聴法、「改正」住民基本台帳法や年金改悪、産業再生法など悪法つぎつぎ成立。
● 1月 長野単組上山田支部結成。
● 2月 成田単組「3人以上、月8日以内」夜勤協定締結。
◇ 4月 改悪労基法施行「女子保護規定撤廃」。
● 「危険なガイドライン法案を憂慮し、再び従軍看護婦をつくらない日赤看護婦のつどい」開く。
◇ 5月 周辺事態法成立。
◇ オランダ・ハーグ世界市民平和会議「すべての国会の議会は、日本国憲法第9条が定めているように、政府の戦争参加を禁止すべきである」と宣言。
◎ 横浜市大、都立広尾などで医療事故あいつぎ、5月日本医労連「緊急提言」発表。
◇ 6月 男女共同参画基本法成立。
● 10月須磨日赤廃止反対で住民代表含め、100名で本社要請行動
◇ 12月1日 派遣の「原則自由化」となる新労働者派遣法施行。
● 12月全日赤、東京都労働委員会に「本社統制をやめること」「一律削減指導通達の撤回」であっせん申請。13単組でも地労委活用。
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2000年・平成12年
◇ 日産、NTTなど大企業、大規模なリストラを計画。
◇ 3月8日 営団地下鉄日比谷線、脱線・衝突事故が発生。
◇ 3月 有珠山22年ぶりに噴火。
◇ 4月1日 介護保険制度が実施される。
◇ 4月5日 小渕内閣総辞職、森連立(自民・公明・保守)内閣が発足。
● 5月 「血液事業法(仮称)制定に関する要望書」を国に提出。厚生省・血液安全対策課と交渉。
● 須磨北部自治会連絡会と「存続させる会」で住民集会共催、200名参加。
◇ 第42回総選挙、与党大幅議席減。
◇ 白川英樹氏にノーベル化学賞。
● 11月 都労委へ「本社通知」は施設交渉への介入として、不当労働行為救済申立行う。
● 12月 国立比良病院廃止、日赤滋賀県支部に経営移譲される。
◇ 12月13日 米大統領選挙、ゴア氏が敗北宣言を行い、ブッシュ氏の当選が確定。
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2001年・平成13年
◇ 1月 省庁再編、1府22省庁から1府12省庁。厚生省と労働省が統合、厚生労働省に。
◇ 70歳以上の医療費1割の定率負担実施。
◇ 2月9日 米ハワイ沖、練習船えひめ丸が米潜水艦グリーンビルと衝突、沈没。
● 給食対策委員会発足。第1回交流集会開く。
● 時間外労働相談「未来日記」発行。不払い残業なくす取り組み。
◇ 4月1日 家電リサイクル法、情報公開法がスタート。
◇ 4月 厚生労働省・基発339号「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」通達出される。
◇ 4月26日 小泉純一郎内閣が発足。
● 須磨住民集会。全日赤も全国から仲間が参加。
◇ 6月 特殊法人等改革基本法成立。労災病院、社会保険病院等、公的病院つぶし強まる。
● 大分・労災認定闘争終結。中央労働審査会、再審査却下。
◇ 9月11日 米、数千人の死者・行方不明者を出す、空前の同時多発テロが発生。
◇ アメリカ、アフガニスタンへ侵攻。タリバン政権を武力で打倒。
◇ 10月10日 ノーベル化学賞、名古屋大学の野依教授。
◇ テロ対策特措法成立。インド洋へ補給艦派遣。作戦行動中の外国軍隊支援は自衛隊発足後初。
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2002年・平成14年
◇ 1月1日 ユーロ流通。
● 2月22日 武蔵野赤十字保育園労組結成、全日赤加入。
● 都労委あっせん案示され、本社・全日赤とも受諾。「決定権は施設長に、『本社通知』は交渉を拘束しない」
◇ 4月 小中学校で完全週休2日制となる。
◇ 5月31日 日韓両国が共同開催するサッカーの第17回ワールドカップがソウルで開幕。
◎ 6月4日 日本医労連主催、有事法制反対集会。銀座をデモ。
◇ 7月 血液新法「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」成立。
◇ 9月17日 日朝首脳が初会談。北朝鮮拉致「安否示す」
● 日赤本社、協定破棄通告と10月賃下げ強行。全日赤は都労委への不当労働行為申請、厚労省労働基準局交渉、各単組でも労基署への申告を行う。その後本社は謝罪し、賃金引き下げを一旦戻し、1月実施で合意。
◇ 10月8日 ノーベル賞、東大名誉教授・小柴昌俊博士が物理学賞、島津製作所の田中耕一氏が化学賞受賞。
◆ 10月 須磨赤十字病院は、新しい神戸赤十字病院へ発展的解消、須磨地区には診療所を残すことに。
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2003年・平成15年
◎ 小海赤十字病院が厚生連佐久病院に移管。全日赤小海単組も長野県厚生連労組へ移行。
◇ 3月19日 ブッシュ大統領、テレビ演説で開戦宣言。20日フセイン大統領らイラク政権指導部の中枢に空爆開始。
◆ 62歳定年制、早期退職勧奨制度、再雇用制度実施。
◇ 4月3日 SARS「新感染症」に指定。
◇ 個人情報保護法成立。
◇ 6月「武力攻撃事態対処法」関連3法成立。日本赤十字社は日銀、NHKなどとともに指定公共機関に。
◇ 7月 イラク特措法成立。
● 2003年度賃金交渉、本社は昨年に続き協定破棄通告。日赤労組とともに中労委にあっせん申請。中労委口答提案「自主交渉を再開し、無協約状態にならないよう早期に解決を図られるよう努力すること」により、自主交渉で妥結。「10月実施、年間調整なし」人勧準拠押しつけはね返す。
◇ 11月10日 衆院選=第43回総選挙は与党が絶対安定多数確保、民主党躍進。
◇ 12月1日 地上波デジタル放送開始。
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2003年 有事法案反対集会 |
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2004年・平成16年
◇ 陸上自衛隊と航空自衛隊にイラクへの派遣命令。
◎ 1月13日 「自衛隊のイラク派遣の中止を求める女たちのつどい」。航空労組連絡会、新聞労連、日本医労連の3人の議長・委員長とともに、全日赤・太田委員長参加。
● 室蘭血単組「休日出勤手当をめぐる不当労働行為申立」事件、和解成立。
◇ 3月11日 マドリードで列車テロ、200人以上が死亡。
◇ 3月20日 「イラク戦争と占領に反対する国際共同」日、世界で数百万人が反戦行動。
◎ 4月15日 全労連・国民春闘共闘委員会、94年以来となる「年金スト」。
◎ 5月21日 東京・明治公園で、陸・海・空・港湾20労組や市民団体、宗教者の呼びかけで自衛隊のイラクからの撤退、有事法制反対集会。
◇ 5月22日 日韓首脳会談で国交正常化交渉の再開で合意。拉致被害者の家族8人のうち、曽我ひとみさんの家族を除く子供5人が初めて日本の地を踏んだ。
● 本社3年連続の協定破棄通告。全日赤・日赤労組は中労委あっせん申請。その後俸給表の改定なしで合意。あっせん員附言「協定破棄は労使にとって好ましくない」。
◇ 6月 国民保護法など有事7法案成立。
◇ 6月24日 第20回参議院選挙、年金制度改革と自衛隊イラク派遣が2大争点となり、自民党敗北。民主党躍進。
◇ 7月1日 世界遺産に「紀伊山地の霊山と参拝道」が認められた。
◇ 9月18日 プロ野球70年の歴史上、初めてのストライキ(18、19日)決行。
◇ 米大リーグのシアトル・マリナーズのイチロー外野手、年間262安打でメジャー新記録。
◎ 日本医労連「全国一斉退勤時間調査」提起。
◇ 10月23日 新潟中越地震。死者63人、重軽傷者4,795人、住宅被害約130万世帯。
◇ 12月26日 スマトラ沖地震・大津波によりインドネシア、タイ、インド、スリランカなどで津波による被害では、観測史上最悪の惨事22万人以上死亡。
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2005年・平成17年
● 全社的福利厚生事業スタート。健康保険料見直しに激変緩和措置。
◇ 新「薬事法」全面施行。血液のより高い品質と安全性が求められる。
◇ 4月1日 改正「次世代育成支援対策推進法」施行。10年の時限立法。
◇ 4月2日 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世逝去。
◇ 4月25日 JR福知山線脱線転覆事故。107人が死亡、550人以上が重軽傷。
● 日赤9条の会発足。
◇ 7月7日 ロンドンで同時多発テロ。地下鉄3カ所がほぼ同時に、1時間後にバスが爆破され56名が死亡。
◇ 7月14日 北海道・知床の世界自然遺産への登録が決まる。
◇ 8月末 ハリケーン「カトリーナ」米南東部上陸。避難者は100万人以上、死者・行方不明者数千人、特にルイジアナ州ニューオリンズ壊滅的被害。
◇ 9月11日 第44回総選挙、自民党圧勝・民主党激減。自・公両党で衆議院の3分の2以上を占める巨大与党が誕生。
◆ 9月25日 半年に渡った愛知万博「愛・地球博」開幕。入場者2,200万人、赤十字パビリオンには47万人が来場。
● 給与構造改革に対するたたかい、05年度賃金は06年1月実施で合意。
◇ 10月8日 パキスタン北部地震。マグニチュード7.6、被災者400万人以上。
◇ 10月29日 日米安保協議委員会「2プラス2」、在日米軍再編に基本合意。基地強化・移転先住民の反発強まる。
● 赤十字子供の家労組結成、全日赤加盟。
◆ 11月 『日本赤十字社国民保護業務計画』策定。
◇ 11月22日 自民党、新憲法草案発表。
● 12月 あっせん作業2回。あっせん員見解、査定昇給は「試行も含め十分必要な協議を行」うこと。
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2005年 中央委員会 子供の家加入 |
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60大会「日赤9条の会」結成 |
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2006年・平成18年
◇ この冬、日本列島各地で記録的な大雪。
◎ 2月9日 「許すな医療改悪・大増税!2・9国民集会」全国から1万4千人。
◇ 2月23日 トリノオリンピック女子フィギュアスケートで荒川静香選手が、同種目で日本人初の金メダル。
● 3月10日 全日赤結成60周年。
◇ 3月20日 ワールド・ベースボール・クラシック、日本がキューバを降し、初代王者に。
◇ 3月28日 フランス「26歳以下の新採用の解雇を容易にすることで、企業側の採用意欲を引き上げる」という「新採用契約・CPE」の撤回求めてゼネスト。仏労働総同盟・CGT発表「全国250カ所、デモ参加者300万人」。仏政府はその後撤回。
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