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HOME全日赤紹介目次年表目次>1955年〜1964年
全日赤紹介
全日赤年表

全日赤関係 ◎日本医労連・全労連等 日赤関係 ◇その他

1955年・昭和30年

◇ 3月 春闘始まる。
 5月17日〜19日 全日赤第10回定期全国大会。伊香保。
◇ 6月7日〜9日 日本母親大会開催。
◎ 7月6日 医従協の提唱で「医療婦人の集い」。
◇ 8月 第1回原水禁世界大会広島で開く。
中央委員会 10周年記念で全日赤旗をつくる 1956年ごろ
中央委員会 10周年記念で全日赤旗をつくる 1956年ごろ

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1956年・昭和31年

◎ 1月21日 東京田村屋旅館にて5施設105名で公立学校共済組合職員労組(公共労)結成大会開く。総同盟加盟。
◇ 5月 第1回働く婦人の中央集会開く。
 6月12日〜14日 全日赤第11回定期全国大会。日赤中央病院。
 10月 全日赤金沢単組、院長の独裁横暴に反対し追放闘争始まる。

中央委員会 1956年
中央委員会 1956年

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1957年・昭和32年
 
 4月1日 日本赤十字社健康保険組合設立。
 5月9日 全日赤、2年前から要求していた賃上げ、特別昇給1号俸で4月実施。
 6月26日〜28日 全日赤第12回定期全国大会。名古屋。
 7月19日 全日赤、金沢闘争勝利。院長は休職後退職。
◎ 8月26日 全労災結成。
◎ 8月31日 日本医労協(日本医労労働組合協議会)結成。国公私立等すべての医療機関で働く医療従事者の産業別統一組織。
◇ 8月 朝日茂氏(岡山療患者)、現行の生活保護基準は憲法25条違反として厚生大臣を相手取り東京地裁に提訴。
 12月12日 全日赤、労働協約締結。

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1958年・昭和33年
 
 1月 石巻赤十字病院の看護婦高橋睦子さん、一人夜勤中患者に殺さる。
◎ 6月20日〜22日 全日赤第13回定期全国大会。伊東。
◇ 8月25日 即席ラーメン発売開始。
◇ 9月5日 中央社会保障推進協議会。総評、中央単産、日本患者同盟、全生連、全日本民医連、日本生協連、社会党、共産党などを構成団体として、中央社保協が発足した。自民党政府の軍拡競争への加担が、社会保障の後退と失業問題の深刻化を招いているとして、戦争反対、失業反対、社会保障の拡充を旗印として組織された。
 9月28日〜29日 全日赤、臨時大会、初の統一スト権確立。
 11月1日 山田単組24時間スト。2・1スト中止以後初。
 11月24日 全日赤、本社集団交渉で医療費10月引き上げの半分を昇給期間短縮で賃上げ獲得。
◇ 12月2日 スーパーマーケット第1号店開店。

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1959年・昭和34年
 
 この年 全日赤、各単組で期間短縮闘争。
◎ 2月21日〜22日 国共病組結成。
 5月26日〜28日 全日赤第14回定期全国大会。高松。総評加盟決定、役員専従体制開始、総評加盟反対オルグを行った名古屋第一を除名。
 6月10日 100床以下の病院は統合整理するという日赤本社の方針により糸崎日赤病院で「首切り反対、医療守れ」の闘争始まる。
◎ 8月25日 妊娠制限事件。新潟県国立高田病院で1956年8月から実施していた看護婦の出産制限に対し、全医労高田支部は臨時大会で妊娠制限は認めないことを決議。同27日に人権擁護局の勧告で制限を廃止。
 12月9日 安保阻止・糸崎支援総決起大会。
 この年 全日赤、高知単組、年末闘争でワンマン院長と対決し、スト、すわりこみ、ビラまきなどで、闘い、一時金満額、増員、患者要求などを獲得。
◇ この年 いわゆる「岩戸景気」。:医労協

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1960年・昭和35年
 
◇ 1月 三井三池労組スト始まる。
◇ 4月 厚生省、「医療機関整備計画案」決定。
 5月12日〜14日 全日赤第15回定期全国大会。盛岡。
 5月19日 全日赤本部新事務所引っ越し。東京都目黒区下目黒3丁目652番地。
 8月11日〜9月14日 全日赤、浜口婦人部長訪中。
◎ 8月23日 日本医労協第5回定期大会開催。全国組合を中心に統一闘争を闘う方針を決定。
◇ 9月10日 カラーテレビ放送開始。
 9月25日 全日赤中央委員会。志賀高原。中央委員会で一律5,000円賃上げ、最低1万円保障、昇給率3倍の要求決定。
 9月 全日赤、盛岡単組浅沼悟朗氏訪中。
 10月5日〜15日 全日赤武蔵野単組連続スト。
◎ 10月26日 東京女子医大病院と東邦医大病院の共同半日スト。
◇ 10月12日 浅沼社会党委員長、日比谷公会堂で演説中、右翼少年に刺殺される。
◎ 11月1日 東京医労連第1波統一スト7組合。
◇ 11月11日 労働省、都道府県に「自主交渉斡旋(職権、知事による調整)」について指示。
◇ 11月13日 厚生省、保安要員の基準は「日曜体制」と発表。
 11月13日 全日赤臨時大会、スト権確立。
 11月25日 全国医療労働者第1波スト。全日赤も第1波。
◎ 11月 東京医労連では続々と一律3,000円賃上げ、最低1万円保障を獲得。
 12月 全日赤は第2〜7波スト。「病院スト」は健保労連や京都、新潟、岩手、山形、千葉、神奈川、大分などに波及。スト参加125組合、3万5千人。

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本部 家宅捜索中
本部 家宅捜索中

1961年・昭和36年
 
◎ 1月 東京医労連7組合、4波にわたってスト決行。
 2月17日 全日赤岐阜単組は、この日県支部評議員会で診療所改組を決定したので、これを知った以後闘争開始。
 2月〜3月 全日赤、第8〜14波スト。東京医労連7組合、6波にわたるスト。
◎ 3月9日 全労災、無期限外来スト・宿日直拒否闘争に突入。
 3月 全日赤、東根日赤病院の縮小統廃合反対闘争開始。
◇ 4月18日 全日赤本部と中央単組家宅捜索。
◇ 4月 国民皆保険制度発足。
 5月5日 全日赤、中労委斡旋案出る。基準内給与3千円増額、うち1千円は一律。
 5月14日〜15日 全日赤1960年度第4回臨時全国大会。

【大会宣言抜粋】九月に始まった武蔵野日赤の夏期一時金斗争から、東京医労連の年末要求につながる一連の斗争は、全日赤の参加によって全国に拡がり、一律要求、最低保障賃金、待遇改善、職場要求などをかかげる医療労働者の統一斗争として発展していった。この斗いの中で長年矛盾を埋蔵しながら、それを要求として形づくってゆくことができなかった多くの仲間が、われわれの要求の正しさを認め、古い毀を破って組合を組織し、この斗争に次々と参加してきた。【斡旋案についての発言】・一律5,000円の要求に対し平均3,000(一律1,000円含む)は低いものだが医療費の枠を拡大しからとったということは、35万の医療労働者の生活向上問題であるし、成果である。

 5月〜6月 全日赤本部役員、中央単組組合員ら逮捕。本部家宅捜索。
 5月 日赤本社で「日赤職員統一協議会」(第二組合)結成。
 6月15日〜16日 全日赤1960年度第5回臨時全国大会。
・額面は不満足だが3,000円は我々が斗いとった。そういう自覚を持っている。第二組合の連中に対しても、皆の利益を代表し斗いとったのだという誇りを持っている。しかし、若干の混迷はある。それは東根等に加えられている攻撃である。・敗北感をいう前に疲労感があるのではないか。組合員ではなく幹部の中に。
 7月21日〜23日 全日赤第16回定期全国大会。東根。

【総括】・盛岡大会以来、安保斗争、三池斗争、医療の斗いと日本全土をゆり動かす大斗争が展開され、全日赤もこの歴史的な斗いを共に斗うことによって大きく成長した。とくに医療労働者のかつてない規模での統一した斗いの中で、全日赤の果した役割は同じ医療に働く仲間に大きな影響を与えると共に全日赤の組織自体にも組合運動を進める勇気と自信を与えた。

 9月 東根日赤病院の全従業員に解雇を通告、全日赤、地域共闘結成、解雇阻止に取り組む。東根闘争支援のオルグ全国から集まる。
 12月26日 全日赤、奈良県支部交渉。全員首切りを通告。
 12月 全日赤岐阜単組、病院再建実現。
 この年 全日赤、中央3・11事件、東根事件、その公判。

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1962年・昭和37年
 
 この年 糸崎・東根・奈良闘争。中央3・11事件・東根事件公判。
◎ 1月 日本医労協、総評加盟。
 3月1日 全日赤、奈良闘争終結。
 4月27日〜6月2日 全日赤、訪中団派遣。宇夫方貞夫、有路絹子、川島みどり、溝淵勉ら含む5名。
◎ 4月 日本医労協、総評、日患同盟、民医連などと共同で「社会保障拡充、医療危機突破集会」開催、6,000人参加。
◇ 5月18日 労働省・厚生省スト規制通達。
 6月18日〜20日 全日赤第17回定期全国大会。大阪。

【闘争報告】・東根闘争。昨年9月18日全員解雇以来9カ月に亘る闘い。13名の組合員を中心に3市1町立一部事務組合病院(旧日赤)への全員完全就職、自衛隊病院化と軍事化反対、地域の医療要求に沿う病院にするため、山形医労協、県労評を軸に地域共斗強化。県支部は7月中旬頃開院の方向。・奈良闘争。本社は「病院を一つ潰すには新しくたてるほどかかる」と云わせるほど相手に与えた影響は大きく、全員県と県支部の責任で採用する、県立医大分院200床を来年8月までに建築を約束させるなど貴重な成果を残して3月30日妥結調印した。・糸崎闘争。34年6月以来3年にわたり闘い続けている。経営が好転して廃止理由が無くなり、混沌としている。・岐阜闘争。病院再建を獲得し、新病院100床が11月完成する。

 全日赤、東根闘争終結。

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1963年・昭和38年
 
 この年 糸崎闘争。中央3・11事件・東根事件公判。
 3月 全日赤松江単組。臨時職員首切り反対闘争。
 9月9日 糸崎闘争終結。
 10月7日〜9日 全日赤第18回定期全国大会。笠間。
「部分核停条約の承認」や「社会党支持」などが持ち出され、大会は否決した。全日赤内部の対立は深刻になり、組合費上納ストップが始まった。
 11月 松江単組今長谷看護婦に不当処分。献血者への献血実態説明は看護倫理逸脱との理由。闘争開始。

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1964年・昭和39年
 
 この年 糸崎闘争。中央3・11事件・東根事件公判。
 3月8日〜9日 全日赤、臨時大会。全日赤再建対策協議会(後の日赤労組)の退場で流会。
◇ 4月17日 4・17スト中止。
 6月27日〜29日 全日赤第19回定期全国大会。大津。

【提案方針・賃金闘争】本社は8病院は公務員なみでも不可能と回答。単組での闘いが強まり、旭川、横浜、阿武山、三原、さらに石巻、益田も4月実施をかちとった。【提案方針・組織問題】私たちが敵の攻撃の前に団結して闘わなければならない最も大事な春闘のなかで、その意見の違いから3月東京臨時大会が成立しなかった。一部の単組においてはニユースその他で徹底した本部の責任追求をやっている。また大阪大会以後全日赤の組合にみぞができ、それが益々深まっていくともいっている。これは単に大会開催の是非をめぐる対立ではなく、組合運動の方向をめぐる意見の相違であると考える。3月東京臨時大会開催にあたり、本部としては年末闘争を通じ春闘に向けていろいろ職場の状態を出された新しい段階で、(1)まず現在の新しい情勢をしっかりと理解する。(2)いまある職場の無数の要求をいかに獲得するか。(3)そのため新しい段階で全日赤として正しい方針をつくり出す。という立場で組合員一人、一人の苦しみと要求をとりあげ、苦しみの根源をさぐり出し職場におきているいろいろな事実を通じて、現在の医療の合理化が新しい段階に入っていることをつかみ、今までのようなたたかい方でなく、山場のあとに谷間のこないみんなで話しあって活動を展開するということが最も大事であると考え開催した。このようにどんな小さい問題も大きな問題も、また意見の違いがあってもみんなで討論していくことこそ新しい組合作りであり、たたかいを成功させる道である。この3月臨時大会不成立の経験を生かして今後このようなことのないよう努力しなければならない。【提案方針・4.17問題】スト中止をめぐって意見のちがいがおきている。全日赤本部は、4月17日のストにたいして干渉しない。闘争を成功させるということは、応援にいくということだけでなく、私たちもストのやれる体制をつくることが大事であるという考え方であった。ストライキは労働者の基本的な権利であり有力な武器でもある。その武器をどう使うか、いつ使うかは組合運動の現在と将来にわたって大局的に利益になるという立場からきめるべきである。【意図的議事混乱】「病院スト」の終結にあたって一部幹部がスト継続による主張で対立し、全日赤中執で対立が起こった。62年大会の役員選挙で不信任投票が多かったことを共産党が指示したとしてアカ攻撃を開始した。この大会でも「本部中執の指導性の誤りから不必要に混乱を起こしている。4・17スト中止に関して本部は共産党を支持する立場にいる。共産党路線の原水禁運動には参加できない。部分核停条約の評価」、等の主張と、水戸・糸崎・東根・岐阜闘争総括に関する事実見解の違いなどでの発言で議事を混乱させた。

◇ 10月 オリンピック東京大会。
 12月 日本赤十字社、血液銀行を血液センターに改称。

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