■今、改めて労働組合を考える
昨年末、厚生労働省の発表では日本の労働組合の推定組織率は前年よりさらに〇・四ポイント後退し、一九・二%。日赤では、昨年六月の本社調べで三三%となっている。一方、全日赤の存在する施設での組織率は、およそ二三・六%という状況である。
そもそも労働組合はどうして誕生したかというと、使用者に対して一人では全く無力である労働者が、要求実現のため集まって労働組合をつくり、そこに団結することで賃金や労働条件を改善させる大きな力を発揮することを確信したからだ。今から二百年以上も前のイギリス、日本では百年ちょっと前のことである。しかし、労働組合の結成は容易なものではなかった。労働者を雇う側(資本家)にしてみれば、指示に従い、不平を言わず、ただ黙々と働いてくれるに越したことはない。労働組合を結成した労働者たちは団結禁止法(一七九九年イギリス)や治安警察法(一九〇〇年日本)など、国や資本から徹底的に弾圧された時代もあった。そして戦後、日本では治安維持法が廃止され、日本国憲法第二八条によって労働者に対し、(1)団結権(労働組合をつくり、加入する権利)(2)団体交渉権(使用者と団交をする権利)(3)団体行動権(ストライキをする権利)が保障された。一九四〇年当時の推定組織率〇・一%に対し、憲法が公布された一九四六年の四一・五%という数字が如実に物語っている。
その後日本の労働組合の組織率は、四九年の五五・八%をピークにして徐々に下降線をたどっていくのだが、その背景には様々な事情があるにせよ、一貫しているのは、発足当時から労働組合を弱体化させようという資本(使用者側)からの執拗な攻撃である。また、日本の基幹産業を組織する「連合」が、まともに労働者の要求を取り上げてたたかおうとはせず、労使協調路線を歩んで来た影響も極めて大きい。一兆円もの純利益を上げているトヨタ自動車においてすら、まともに賃上げを要求しない労働組合に労働者は期待するわけがない。
一方で昨年のプロ野球選手会のストライキに対する多くの労働者・国民からの強い関心と支持は、今日のリストラや労働条件切り下げへの怒り、閉塞した状況の打開を求める期待の現れとも言えるのではないだろうか。私たちは今、労働組合の存在意義が試される時代を迎えている。目標管理や成果主義は、労働者を個々バラバラに管理することを狙っている。その対抗軸としての労働組合は、今こそもっと光り輝く存在として労働者の目に止まらなければならない。人間らしく、ゆとりをもって楽しく働ける職場づくりをめざして、そして『働くものは労働組合に結集するのが当たり前!』この言葉を未加入のあの人に自信を持って発することができるよう、一層の努力が求められている。
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