機関紙「日赤労働者」
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書記次長に選任していただいた折に、皆さんに挨拶ができなかったことが心残りでしたので、この場を借りて、自己紹介も兼ねて人となりを知っていただこうと思います▼長野県で生まれ、保育園まで両親と叔父叔母と一緒に暮らしていました。歌が大好きな子供で特に「沢田研二」が好きで両親や大人の前でよく歌っていました▼ですが、幼稚園に上がる頃に隣町への引っ越し、保育園から幼稚園に転園を機会に幼稚園行きなくない病が発症。好きだった歌も歌わなくなり、人前が苦手な引っ込み思案な子供へと成長しました▼小学校からピアノを習いますが、練習嫌いで暗記も苦手、家にはピアノは無いし、両親共働きで学校が終わると祖母の家に帰って、今度はピアノ教室に行きたくない病が発症。「仮病」というスキルを身につけました▼小学校の時に日曜朝に放送していた「六三四の剣」にハマり剣の道へ、寒さと臭さに耐えながらも中学では高校の推薦が受けられるまでになりましたが、剣道はもうやらないと心に誓い進学校へと進みますが、新たな部活に入る勇気がなく剣道部へ入部。二つ名が「優柔不断」になる▼マイナス面の多い人間ですが、それであればこそ、同じ境遇の人に寄り添えると思っています▼皆さんの力になれるように精進していきます。(Tm)