全日赤
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1965年~1984年

●全日赤 ◎日本医労連・医労協 ◆日赤 ◇その他

1965年・昭和40年

 ● 2月19日 全日赤益田単組の田中フサエさん人手不足のため、病気をおして勤務し死亡、単組闘争に立ち上がる。
 ● 4月 全日赤、階級章反対の闘い各地で起こす。
 ● 5月25日 全日赤、高松単組前川さんに超勤拒否闘争で配転。闘争開始。
 ◎ 5月 日本医労協、看護制度改悪反対、夜勤制限の全国集会開く。
 ◎ 5月 全医労、夜勤月8日以内、1人夜勤禁止、産前産後の夜勤禁止などの人事院判定出さす。
 ● 6月13日~15日 全日赤第20回定期全国大会。伊豆熱川。
 ● 8月 全日赤、臨時大会。熱海。組合費納入が無い単組は代議員資格がないものとして開催されたが、滞納単組は別会場で分裂組織準備を行った。
 ◇ 8月 健保・共済改悪反対中央決起集会、署名600万国会誓願。
 ◇ 9月~10月 労働科学研究所、武蔵野日赤病院で「看護婦の疲労度調査」。長時間夜勤でも疲れはひどくないといいつくろうため、病院が調査依頼、結果は逆効果で改善が必要と報告。報告は翌年。
 ● 11月18日 旭川単組松本田村両看護婦に解雇。日韓会談阻止署名を患者にさせたという理由。すぐに全道から反撃開始。
 ◎ 12月 国共病組、賃上げ・一時金で初めて2波のストライキを打つ。
 ◎ この年 公共労、給与体系の変更、国の給料表から都の給与表へ切替え、4月から適用。給料表は都、諸手当は国公となる病院職員特別手当を含め、直近上位あるに切替える(2号以上アップ)。

1966年・昭和41年

 ● 1月~2月 全日赤益田単組、年末年始休暇闘争に処分。闘争開始。
 ● 4月 全日赤、旭川単組不当解雇事件、勝利して復職。
 ● 5月~6月 全日赤、柘植書記長訪中。
 ● 6月8日~10日 全日赤第21回定期全国大会。湯河原。
 ● 6月14日 全日赤松江単組今長谷事件勝利。
 ● 6月29日 全日赤長浜単組、組合事務所立ち退きで機動隊導入。闘争開始。
 ● 9月6日 全日赤、高知単組田岡さん病気押し勤務中急死。改善闘争。
 ◇ 10月3日 労働福祉事業団、新勤務体制11月から一方実施を通告。
 ◎ 10月21日 医労協500支部単組がストと職場大会実施。総評初の10.21ベトナム反戦スト。48単産、約211万人が実力行使、91単産、308万人が職場大会に参加した。以後この日は10・21国際反戦デーとなった。
 ● この年 全日赤岳麓(現・山梨)単組、民主化と再建闘争。
 ◎ この年 公共労、大会方針で「権利の擁護」「生活の防衛」「たたかう公共労」をうちだす。理事者の協約改悪の攻撃強まる。
◇ 労災病院で変則3交代制夜勤(労災方式:夜勤時間が10~12時間)を導入

1967年・昭和42年

 ● 5月 大津日赤病院で赤ちゃん取り違い事件明るみに出る。労組闘い開始。
 ● 5月 全日赤、益田単組中島さん不当は移転拒否に不当処分。反対闘争。
 ● 6月10日 全日赤旭川単組山崎看護婦妊娠勤務中過労死。
 ● 6月10日~12日 全日赤第22回定期全国大会。伊東。
 ◇ 7月14日 ILO第100号条約。1951年のILO第34回総会で採択された、<同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約>を、この日国会は批准承認した。採択時、日本はILOに復帰していなかった。
 ◎ 9月 日本医労協、ベトナム医療労組に対する激励のメッセージとカンパ10万円を送る。
 ● 11月 日本医労協、民間全国組合(全日赤、健保労連、国共病組)初めて中労委に共同調停申請。
 ◎ 11月 日本医労協など38単産共同で「全民主勢力の統一アピール」発表。
 ● 12月20日 全日赤、中労委調停案獲得。賃上げいっせい実施、最低保障制度と准看護婦ワタリ制度の新設を労使協議。この年の賃上げ7.5%。

1968年・昭和43年

 ◎ 3月1日 新潟県立病院看護婦2・8闘争。この日から組合の作成した勤務表による就業の闘いに入った。知事の指示権発動にもとづく県病院局との交渉の結果、要求を全面的に認めた協定書が取り交わされ、闘いは勝利した。この成果は県内だけでなく、全国的に波及した。
 ◎ 3月30日 総評医療共闘主催「3.30医療危機突破中央決起集会」1,500人参加、うち日本医労協1,300人、増員、夜勤制限、国立療養所の特会制反対などを意思統一。
 ◎ 5月 「夜勤制限・増員・医療を守る全国活動者会議」(新潟)ひらかれる(全国から523人参加うち日本医労協は259人)。「看護はこれでよいのか」と看護のあり方を追求する運動すすむ。
 ● 6月9日~11日 全日赤第23回定期全国大会。伊東。
 ● 6月~7月 全日赤、一時金で中労委、都労委へ申し立て。
 ◎ 6月 日本医労協、「1968年度賃金闘争構想について」発表し、賃金闘争を全体として春に集中する方向を明確にする。
 ◎ 8月 山形市立病院済生館従組、実力行使で日本医労協加盟では初めて「複数夜勤・夜勤月8日」の協定勝ち取る。
 ● 9月1日 全日赤、八戸病院再建実現。
 ● 10月25日 全日赤盛岡単組、「複数夜勤、月8日以内」の協定化勝ち取る。
 ● 10月 民間全国組合(全日赤、健保労連、国共病組のち全労災加わる)、中労委に共同調停申請。
 ◎ 11月 総評医療共闘2,500人白衣デモ。
 ● この年 全日赤、第1次昇格協定獲得。中労委調停で看護婦深夜手当と特勤手当の労使協議。この年の賃上げ9.0%。

1969年・昭和44年

 ● 2月 全日赤高知単組「複数夜勤、月8日以内」の協定勝ち取る。
 ● 3月~6月 全日赤、各単組で新勤務体制粉砕。
 ● 6月20日~22日 全日赤第24回定期全国大会。伊豆長岡。
 ◎ 6月 総評医療共闘会議のとりくみで、参院社労委「看護職員の不足対策に関する決議」勝ち取る。
 ● 9月10日 全日赤、高松単組前川事件、中労委で勝利。
 ◎ 10月21日 日本医労協、10・21統一行動に参加。仲事務局次長、松本全医労書記長その他組合員10・21統一集会後のデモのさい、暴力集団の襲撃を受け負傷、ただちに日本医労協「暴力集団を断固糾弾」の声明発表。
 ● 10月 全日赤八戸病院労組田村寅次郎氏、事故のエレベーターで墜落死、組合はストで病院の責任追及。
 ◇ 11月5日 38単産懇談会のアピール。懇談会は、安保条約破棄、沖縄全面返還を中心課題に、全民主勢力の持続的・恒常的共闘を呼びかけるアピールをこの日出し、全国的な賛同運動を展開する。この運動は後に、統一促進懇、統一労組懇になる。
 ◎ 11月 公共労、日本医労協にオブ加盟。
 ● 12月1日 全日赤唐津単組の中島つよし・倉光アサコ両氏に解雇。男60歳、女55歳で退職勧奨し、応じなければ解雇という理由。ただちに解雇撤回闘争に入った。
 ◇ 12月1日 老人医療費無料化。
 ● この年 全日赤、賃金の中労委調停案15.6%を参考に労使協議。結果も15.6%。

1970年・昭和45年

 ● 4月7日 全日赤、長浜単組、不当労働行為地労委で和解。
 ● 5月23日 全日赤、京都第二、夜勤増員で覚書獲得。
 ● 8月7日 民間全国組合(全日赤、健保労連、国共病祖、全労災)共同で中労委調停申請、この日全日赤への調停案。70年度賃上げで中労委へ調停申請。全日赤に対する調停案、春闘平均賃上げは労働省調べで18.1%、中労委調べで18.6%、これを基準に労使協議。この年の賃上げ15.2%。
 ● 8月23日~25日 全日赤第25回定期全国大会。鬼怒川。
 ● 10月 沖縄赤十字労組、全日赤オブ加盟。

1971年・昭和46年

 ● 2月27日 全日赤益田単組、中島事件勝利。
 ● 3月 全日赤、第1回中高年者集会。
 ◆ 4月1日 日本赤十字社、社費最低100円を300円に引き上げ。
 ◆ 4月28日 日赤、済生会及び厚生連三団体の公的医療機関問題議員懇談会発足。昭和47年度予算で調査費500万円、昭和48年度で特殊診療部門運営費補助金2億8800万円、昭和49年度3億9590万円、昭和50年度5億0440万円、昭和51年度6億3770万円の財政補助が行われた。
 ◇ 4月 一斉地方選挙、東京・大阪に革新知事。
 ◇ 5月19日 沖縄ゼネスト。沖縄の革新陣営は、県民不在の日米交渉に抗議し、<日米共同声明路線の返還協定粉砕、完全復帰>を要求して、午前零時から24時間ゼネストに突入した。
 ● 7月21日 全日赤、賃金で中労委調停案、16.5%~17.1%を参考に労使協議。最終結果は14.9%。
 ◇ 8月17日 ドル・ショック。日銀のドル買い支え、変動相場制への移行、国債増発での景気浮揚対策など、これらが急激なインフレと財政危機の発端となった。
 ● 9月19日~21日 全日赤第26回定期全国大会。下田。
 ◇ 11月 日米沖縄協定強行採決。沖縄協定批准反対闘争高まる、19日、中央統一大集会に27万人。
 ◎ 11月 総評医療共闘会議「准看制度廃止のための討論集会」開く。

1972年・昭和47年

 ● 7月8日 全日赤、賃金で中労委調停案15.4%。最終結果は15.5%。
 ● 7月29日~31日 全日赤、第1回リブ・ヤング・サマー。霧ヶ峰。現在のリブ・ヤング。
 ● 9月14日~16日 全日赤第27回定期全国大会。富士吉田。
 ◆ 10月17日 日本赤十字社、病院経営の再建について文書で、経営改善5カ年計画(昭和48年度~52年度)策定を指示。
 ◇ 11月9日 年金メーデー。この年の9月15日高齢者大集会を起点に、総評・中立労連を中心に10月末から大行進が展開された。これは翌年の年金・物価メーデー、年金統一ストに発展した。
 ● 11月~12月 全日赤、夜勤スト。高槻、大阪、京都第二で夜勤制限協定、大津、高松でも確認。

1973年・昭和48年

 ◎ 1月 日本医労協、ベトナムへ救急車(日本医労協号)をおくるカンパ活動で目標の300万円達成。
 ● 3月31日 全日赤益田単組、宮崎氏(元全日赤委員長)に不当解雇。闘争開始。
 ● 3月~9月 全日赤、中労委を活用せず実力で春闘相場を獲得した画期的な春闘。基準内で13,126円(16.4%)、定昇込みで15,626円。9月新賃金支払いも前年より3カ月早かったが、それにもまして内払いは7月に実施させ、日赤賃金闘争の展望を切り開いた。
 ◇ 4月17日 年金統一スト。春闘共闘委員会傘下の53単産、350万人が参加した。
 ● 4月~5月 全日赤、自力春闘で1万4千円回答出さす。
 ● 4月~6月 全日赤長浜単組、スト中に組合旗破り、抗議した組合長を処分した院長を追及、全面勝利。
 ◇ 5月15日 小選挙区制粉砕全国統一行動。社共公民4党の院内共闘が発足し、社共公3党と総評等の呼びかけで運動が展開され、この日の中央集会には12万人、30都府県で28万7千人が参加した。17日には233団体が参加して中央連絡会議が発足し、18県339カ所で共闘組織が結成された。5月に法案提出が断念され、闘争は勝利した。
 ● 10月2日~5日 全日赤第28回定期全国大会。東京。
 ◎ 10月 全医労、春闘時の4.27ストライキに対し厚生省8,200人超える不当処分、ただちに撤回の闘いをくむ。

1974年・昭和49年

 ◎ 2月 民間全国組合共闘発足。
 ● 3月22日 全日赤長浜単組、地労委が院長に謝罪命令。
 ◇ 3月 闘いの高まりのなかで厚生省、差額ベッド規制通達出す。
 ● 3月~4月 全日赤、国民春闘の盛り上がりを背景に、本社に「27.5%(春闘相場)は下らない」と回答させ、最終的には、平均29.2%、暫定払い12,000円。
 ◇ 4月11日 74春闘。前年秋の石油ショック以来狂乱物価といわれる悪性インフレが急進するなかで、3万円を超える賃上げ要求とともに、物価、税制、社会保障、最賃制など対政府制度・政策要求で、国民世論の支持を受け、国民春闘的様相を呈した春闘。1月から政府交渉と集会、3月には大規模官民スト、この日からは決戦ストになり、4月中に民間の大半が終結。妥結結果は労働省調べで、民間2万8,981円、32.9%、春闘史上空前のものになった。
 ● 9月8日~11日 全日赤第29回定期全国大会。蒲郡。
 ◆ 10月 日赤年金実施。
 ◇ 12月5日 統一労組懇発足。1970年に組織された統一促進労働組合懇談会がこの日改組し、統一戦線促進労働組合懇談会となった。日本医労協など22単産と地方統一労組懇が参加、89年には公称150万人。全労連発足前日解散した。
 ◇ 12月 厚生省、滋賀・兵庫両センター調査。

1975年・昭和50年

 ● 1月13日 全日赤、益田単組、宮崎事件第1審勝利判決。経側控訴。
 ◎ 1月 全医労、74春闘に対する不当処分、抗議闘争広がる。
 ● 3月3日 全日赤伊達単組は、祝祭日の出勤者に対して休日出勤手当を支払うこととする地労委調停案をかちとった。
 ● 3月~5月 全日赤、産別統一ストを中心としたストと全国動員を力にして、5月9日確認書を獲得。「公企体、公務員等の賃金改善を参考に、医療労働者の特殊性も加味し決定する」、賃上げ4月実施、暫定払い8,000円。この年の賃上げ10.8%。
 ◇ 4月 統一地方選において、東京都、大阪府は革新の陣地確保、神奈川県に新たに革新知事誕生。
 ● 9月12日~15日 全日赤第30回定期全国大会。京都。
 ◇ 12月12日 ILO第102号条約批准。この条約は、1952年の第35回ILO総会で採択された、①医療、②傷病給付、③失業給付、④老齢給付、⑤業務災害給付、⑥家族給付、⑦母性給付、⑧廃疾給付、⑨遺族給付の9部門の社会保障給付の基準を規定した<社会保障の最低基準に関する条約>。政府は、②傷病給付、③失業給付、④老齢給付、⑤業務災害給付の4部門の批准案を国会に提出し、この日に可決成立、26番目の批准国となった。
 ◇ 12月 厚生省「夜勤10日規制通達」(管第72号)出す。

1976年・昭和51年

 ◎ 1月26日 全労災、つわり休暇、職場保育所補助を協定。
 ● 3月8日 全日赤結成30周年記念集会。目黒・雅叙園。
 ● 3月~5月 全日赤、ストを背景に本社回答を次々と書き換えさせ、4月実施などを固めた。暫定払いを賃上げ後精算のないものと認めさせ、第1次賃上げとさせた。この年の賃上げ7.0%。
 ◎ 6月2日~23日 柘植つい子さん「看護職員の雇用及び労働・生活条件」のILO第61回総会に参加。
 ◇ 7月 厚生省、日本医労協との約束に基づき、全医療機関の夜勤制限通達出す。
 ● 9月6日~9日 全日赤第31回定期全国大会。別府。
 ◎ 9月 日本医労協、フランス・イタリアに医療調査団派遣(宇田川副議長ほか4人)、フランスCGT公共業務保健労組と共同コミュニケ発表。:医労協

1977年・昭和52年

 ◇ 2月 国民春闘共闘、約1万人集めて「国民のいのちと暮らしを守る中央総決起集会」開催、集会後都心をデモ行進。
 ● 4月~5月 全日赤、5月4日に第1次賃上げを獲得、「賃金労使自主決定」の道を開いた。第1次賃上げ6%で賃金表を作成。本社は「暫定賃上げ」と宣伝したが、各単組が経側に「第1次賃上げ」と「暫定賃上げ」の違いを明らかにし、本社と経側の矛盾を拡大した。12月の第2次賃上げでは、第1次賃上げの主旨を損なわないよう主張、4月に遡り実施させた。第2自賃上げで7%。
 ◎ 6月 ILO第63回総会、「看護職員の雇用及び労働、生活条件」に関する条約・勧告採択。柘植つい子さん、総評医療共闘代表団(6人)の一員として派遣。
 ● 9月12日~14日 全日赤第32回定期全国大会。宇奈月。
 ◆ 12月23日 日本赤十字社、第二次赤十字病院経営改善五カ年計画(昭和53年度~昭和57年度)策定を指示。

1978年・昭和53年

 ● 1月18日 全日赤益田単組、宮崎元全日赤委員長解雇事件、広島高裁松江支部で勝利判決。
 ● 4月~12月 全日赤、本社から「賃上げすることと4月実施」の合意メモをかちとり、その後全日赤は2号俸引き上げ、本社は「人勧準拠」回答で対立。12月になって本社が給与委員会を強引に開催し、要綱を改定、2本立賃金を強行しようとした。全日赤は中労委に調停申請、調停は不調になったが「人勧準拠」方針を批判する会長見解が出された。翌年1月に暫定支払確認書を交わした。この年の賃上げ3.7%。
 ● 5月 青山貞一氏、医労協副議長として、国連第1回軍縮総会に参加。
 ● 9月11日~13日 全日赤第33回定期全国大会。洞爺。

1979年・昭和54年

 ◎ 1月19日 益田単組、宮崎守文氏(元全日赤委員長)不当解雇、最高裁で全面勝利。
 ◎ 2月 日本医療労働会館完成、全日赤は3月26日業務開始。
 ● 4月~6月 全日赤、4月に本社から第1次回答「本俸引き上げ2.3%、最低保障76,700円」を引き出したが、その後引き延ばしに出たので中労委に調停申請。調停継続のまま自主交渉を行うことになり、6月に入って基準内平均3.8%引き上げを回答した。春期に賃上げ枠を始めて回答させた。
 ● 9月10日~12日 全日赤第34回定期全国大会。東京。
 ● 11月21日 京都第一単組は、海外医療班派遣に関する覚書を院長との間に交わした。

1980年・昭和55年

 ● 4月~6月 全日赤、4月段階で本社から「賃上げは行う」、「基準内で平均3.8%、最低賃上げ2,000円」、「第1次回答を上回るものとする」、5月に入って「基準内賃上げ4%」と回答引き出し。6月になって「定昇別4.2%、最低保障引き上げ2,700円」の回答で妥結。この年の賃上げ4.53%。
 ● 8月25日~27日 全日赤第35回定期全国大会。宮島。
 ● 9月7日~21日 全日赤、ベトナム・カンボジア友好連帯訪問団派遣。溝淵勉(全日赤委員長)、高野博男(元全日赤委員長)、伊藤茂歳(元全日赤書記長)。
 ◇ 11月16日 統一労組懇80,000人の11・16中央大集会開催。

1981年・昭和56年

 ● 4月~5月 全日赤、民間全国組合の共闘を重視し、産別統一行動に全面的に参加して闘った。回答を逐次書き変えさせ、「原則として4月実施」の原則をはずさせ、人勧後も回答を変えさせず決定させた。この年の賃上げ5.29%。
 ◎ 5月26日 唐津裁判勝利で5・26福岡決起集会。
 ● 7月12日~14日 全日赤第36回定期全国大会。山ノ内。
 ◎ 7月 第2時臨調、第1次答申、医療費適正化などを強調。医労協、反対声明。

1982年・昭和57年

 ◎ 3月27日 全国医療メーデー成功裏に展開。
 ● 4月~5月 全日赤、本社は4月22日、公企体を参考にすると回答。5月に入って公労委の数字前後で回答をつくれと全日赤が提案、交渉は決裂したがこれを伏線に中労委で調停案引き出し。調停案は公企体仲裁裁定(定昇別4.6%)を基準に労使協議。結果は定昇込み7.31%、14,643円。この年は公務員の賃上げが無かったため、12月に再度中労委に調停申請、俸給は4月実施、手当は12月実施。
 ● 5月22日~23日 全日赤、第1回福祉施設労組代表者会議。松本。
 ◎ 5月 全日赤、国共病組、賃金要求で中労委に調停申請。
 ● 6月9日 全日赤、唐津単組、唐津裁判共闘会議結成。
 ● 7月11日~13日 全日赤第37回定期全国大会。琴平。
 ◆ 10月15日 日本赤十字社、赤十字病院経営基盤強化三カ年計画(昭和58年度~昭和60年度)策定を指示。
 ● 12月 全日赤、人勧が凍結されたが、春期協定に基づき賃上げ実施。
 ◎ この年 全日赤・国共病組、第1回看護問題合同学習会。

1983年・昭和58年

 ● 1月21日 全日赤唐津単組、唐津闘争全面勝利。事件は1969年に始まり、77年の第1審は敗訴した。その後全国的な支援、福岡県医労協の全面的支援で運動を広げた。倉光さん、中島さんの解雇撤回、和解金5千万円。
 ● 1月25日 全日赤武蔵野単組、差別撤廃闘争全面勝利。片岡さん、柳沢さんを婦長に、岡本さんと大川さんを係長に。
 ● 4月~5月 全日赤、本社の「公務員賃金の帰趨を見極めて回答」との態度を改めるべく、中労委に調停申請した。調停案は、1.8%、3,842円、定昇込みで4.47%、9,541円。
 ● 8月21日~23日 全日赤第38回定期全国大会。盛岡。
 ● 9月6日~17日 全日赤、赤十字問題訪欧代表団派遣。坂巻晃(全日赤副委員長)、菅原敏和、三浦格、夏堀茂(以上3名全日赤政策委員会委員)。杉本一夫(血液センター部会)も参加。
 ● 12月 全日赤、5月と11月に中労委を活用、4.46%、9,520円。

1984年・昭和59年

 ● 4月~5月 全日赤、5組合で民間全国組合共闘をつくり、春闘に臨んだ。4月19日「賃上げはする」、19日「1.2%を確保する」と回答したが、具体的数字が無くては賃金確定にならないので、中労委に斡旋申請。確定した賃上げ枠は、1.9%、4,128円。
 ● 7月8日~10日 全日赤第39回定期全国大会。諏訪。
 ● 7月30日 全日赤、滋賀血液センター単組は組合脱退強要など不当労働行為に対する地労委闘争で「今後組合に支配介入しない」勝利和解。
 ◇ 8月7日 健保法改悪。急速な高齢化社会の到来に対応するとして、第2臨調が指摘していた医療費抑制策として行われた。主な内容は、①本人負担1割導入、②高額療養費制度改正、③特定療養費制度創設、④退職者医療制度創設、⑤任意継続期間延長。
 ◇ 8月 厚生省、長寿園廃止・西群馬病院との統合打ち出す。
 ● 11月 全日赤、5月に賃上げ枠1.9%を協定。11月に中労委斡旋で定昇込み4.44%、9,763円。4月実施を固めたが夏期一時金を除外することになった。
 ◎ この年 民間全国共闘委員会を組織。初任給基準、共同統一交渉を要求し、交渉権を共闘委員会に委任し、追及。

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